「昔はよかったなあ」っていうあれ
さて、きのうの夕食の話題だけれど、
どこの世界でもよくある、「昔はよかったなあ」っていうあれだ。
クレヨンしんちゃんの「ひろしの回想」みたいに、誰でもふっと昔を振り返って懐かしむ、思い出に浸ったりするものじゃあないだろうか。
我が家にとってきのうがちょうどその日だったらしい。
小学生の頃の我が家といえば、県営アパートの狭い部屋に家族6人。たっちゃんちはどうやって寝ているの?っていわれるくらい今思うとよく住めていたものだ。川の字です。はい。
同年代の子供がたくさんいて、遊ぶ場所なんてでっかい川が目の前を流れていたり、その手前でゴールデンレトリーバーがうろうろ散歩していたりする、見方を変えればそんなちょっと恵まれた(?)環境。
外に出ればいつも誰かが遊んでて、その輪に加わろうと声をかける前に、既に参加登録されてたりする人見知りにも優しい仕様。
5階に住んでる亮くん家からは臼杵の街並みが一望できたり(山ばかりである)、自宅の部屋ではタンスと机の間にタオルケットでネットをつくって、風船バレーボールができる。そんな大好きなアパート。
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ある日、たっちゃんが泣いていることにきづいた彼の友人まあくんが、
「たっちゃんどうしたん?」と聞くと、
「みんなが僕のボールとって返してくれんに泣」という。
そこでまあくんは
「よしっ!おれにまかせろ!」といって勇敢にもお兄ちゃんたちのもとへ走っていった
普段は癒し系でとおっているまあくんがその時ばかりはいつになくカッコよく見えたものだ。
そしてお兄ちゃんたちに向かってまあくんはいつもの柔和な表情で
「ぼくもかーててっ」っと叫んだまあくん、元気にしてるだろうか。
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そんな何度も聞いた話を今日も飽きずに笑って繰り返す姉と母の会話を、ぼくはそろそろ席をたってしまおうかと思いながら聞いていた。
お兄ちゃんたちのところに行くまでの数歩でまあくんの気持ちがふっとかわったねだの、それにしてもまあくんのお兄ちゃんイケメンだったわよねだのと、とりとめのない話を続ける姉と母。 今日もうちは平和です。
今になって思えばそんなふうに話題に事欠かなかったアパートでの生活。家族みんな揃って当たり前のように食事をし、お風呂の順番でけんかする。
上の双子の姉ちゃんには勝てないと分かっていたから如何にしたたかに生きるかを模索する一方で、一つ上のみゆきとは年中けんかをしていた。
けんかも終盤になると、母に泣きつくみゆきをかばう母を、その母の後ろで、さっきまでの嘘泣きを解いてあっかんべーするみゆきを、いつもうとましく、世の中不公平だと思いながら過ごしていた少年時代も、
僕は、嫌いではない。
僕が赤ん坊の頃などは、「誰よりも可愛がってあげたのよ」とみゆきはことあるごとに恩着せがましく言ってくる。思い返せば風船バレーボールの相手をしてくれたのも、いつも双子の姉ではなくみゆきであった。さもあるものかと改めて感謝のひとつでもしてしまう僕は、だまされやすい性格なのだろうか。
そんな過去の経験から、みゆきは「私絶対に子どもが小さいうちはアパートに住む!」と大きな声で主張していた。
みゆきが子供を産むころにはこの臼杵市の子どもの数なんて当時の半分もいないんだよと、今の子どもたちはサッカーよりもテレビゲームを、屋外でだって携帯ゲームを手放さないんだよと、そもそも君にはもうずいぶん恋人だっていないじゃないか。
そういってしまえばまたけんかの種になると思った僕はむぐっと口を閉じた。
でもたしかに、
各自の部屋をもつ今の家では風船バレーボールもできないし(しないが)、
川の字に並ぶ床に布団を丁寧にせっせと敷くあの楽しい作業も機会を得ない。
快適なソファと高台の眺め、定期的に購入される菓子類がある今の我が家も決して悪くはないが、
めちゃくちゃ汚したダンボールの机やのベランダや部屋中に置かれたたくさんの観葉植物、夏にはキラキラと光っていたあの川も、近所付き合いに子どもたちの元気すぎるほどの笑い声も、思い返せばかえがたい大切な思い出だ。
だからって子どもが小さい頃はアパートに住むべきかと言われたら、、、
そうとは思わないけれど。