ミニマリストになるよ!

もののはなし

ミニマリスト(最小限主義者)

最小限綱領派と訳す。最小限度の要求を掲げる社会主義者の一派をいう。かつてロシア社会革命党内の妥協的な穏健分子がこう呼ばれた。またこの反対にすべてを要求し,決して妥協しようとしない一派がマキシマリスト maximalist (最大限綱領派) と呼ばれた。

知恵蔵2015の解説
ミニマリスト
持ち物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人。

ミニマリストでありたいと思い立ってからは久しいのですが、
このあたりで経過報告でも。

自室にある主な家具はベット・デスク・棚が二つ。といった現状です。
荷物を全部合わせると標準的な電子レンジに入りきるほどになりました。(衣服を除く)

そもそも何故ものを減らすのか
たくさんものがある生活の中って、実は不便が多いんです。
「今日着ていく服がない!」っていうのはその代表例。あるじゃん!!って
きっとそれは必要のない服が多すぎて必要な服が見えなくなっているだけなんです。
だから選択肢が多いとその日のコーディネートを考えるのも一苦労。すごく不便。
ミニマリストは、悩む必要なんてない。だって、はじめから選択肢がないんだから。

安藤にとってミニマルな生活っていうのは、なんでもかんでも減らすのではなく
本当に大切なものに囲まれて暮らす。そんな幸福の手段だったりするんです。

ものを減らせば自然と、本当に大切なものが見えてきますよ。

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なんにもない生活で、今までにない本当の幸せを見つけられたら、きっとあなたもわくわくさん

みかん

さてさて、みかんの美味しい季節になりました。



例のごとく我が家にも連日どこから来たか分からない大量のみかんが段ボールで届いております。
しかもこれがうまい!食べるしかない!!

同じようにカボスも届くけど、あれ東京では一玉数百円するそうな。そんな。



みかんのむき方ってどうしてる?
僕はずーっと下の窪みの方から皮むいて、丸裸にしたところをひとつづつむしってた。
時には気まぐれに、
「ほう。白い筋よ、そなたもむいてやろうか」
と心の中で言い放ち、無心で筋とりにふけるのけど、

(↑白い筋、アルベドっちいうんやね。栄養つまっているそうです!




でもさ!最近はそのみかんのむき方変えてさ!

窪みに指入れるところまでは一緒なんけど、そっから4つに割るんよね。

そしたら(なんということでしょう)、それぞれのブロックごとにむきたてを食べられるし、

一ブロックがちょうど袋2、3こ分で一口サイズが丁度良い満足感なのですよ。
(和歌山剥きっていうそうです)


みかんの皮アートなんてのもあるんだそう。







習慣を変えるのって、少し抵抗があるけれど。


今までにない方法で、ちょっとわくわくしてきたら

これであなたもわくわくさん




今年の年末は、「あなた」らしいみかんの向き方を見直してみては。

「昔はよかったなあ」っていうあれ

さて、きのうの夕食の話題だけれど、
どこの世界でもよくある、「昔はよかったなあ」っていうあれだ。

 

クレヨンしんちゃんの「ひろしの回想」みたいに、誰でもふっと昔を振り返って懐かしむ、思い出に浸ったりするものじゃあないだろうか。

 

我が家にとってきのうがちょうどその日だったらしい。

 

小学生の頃の我が家といえば、県営アパートの狭い部屋に家族6人。たっちゃんちはどうやって寝ているの?っていわれるくらい今思うとよく住めていたものだ。川の字です。はい。

 

同年代の子供がたくさんいて、遊ぶ場所なんてでっかい川が目の前を流れていたり、その手前でゴールデンレトリーバーがうろうろ散歩していたりする、見方を変えればそんなちょっと恵まれた(?)環境。

 

外に出ればいつも誰かが遊んでて、その輪に加わろうと声をかける前に、既に参加登録されてたりする人見知りにも優しい仕様。
5階に住んでる亮くん家からは臼杵の街並みが一望できたり(山ばかりである)、自宅の部屋ではタンスと机の間にタオルケットでネットをつくって、風船バレーボールができる。そんな大好きなアパート。

 

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ある日、たっちゃんが泣いていることにきづいた彼の友人まあくんが、


「たっちゃんどうしたん?」と聞くと、

 

「みんなが僕のボールとって返してくれんに泣」という。


そこでまあくんは


「よしっ!おれにまかせろ!」といって勇敢にもお兄ちゃんたちのもとへ走っていった

 

普段は癒し系でとおっているまあくんがその時ばかりはいつになくカッコよく見えたものだ。

 


そしてお兄ちゃんたちに向かってまあくんはいつもの柔和な表情で

 

「ぼくもかーててっ」っと叫んだまあくん、元気にしてるだろうか。

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そんな何度も聞いた話を今日も飽きずに笑って繰り返す姉と母の会話を、ぼくはそろそろ席をたってしまおうかと思いながら聞いていた。

 

 

お兄ちゃんたちのところに行くまでの数歩でまあくんの気持ちがふっとかわったねだの、それにしてもまあくんのお兄ちゃんイケメンだったわよねだのと、とりとめのない話を続ける姉と母。 今日もうちは平和です。

 

 

 

 

今になって思えばそんなふうに話題に事欠かなかったアパートでの生活。家族みんな揃って当たり前のように食事をし、お風呂の順番でけんかする。

 

上の双子の姉ちゃんには勝てないと分かっていたから如何にしたたかに生きるかを模索する一方で、一つ上のみゆきとは年中けんかをしていた。

 

けんかも終盤になると、母に泣きつくみゆきをかばう母を、その母の後ろで、さっきまでの嘘泣きを解いてあっかんべーするみゆきを、いつもうとましく、世の中不公平だと思いながら過ごしていた少年時代も、

僕は、嫌いではない。

 

僕が赤ん坊の頃などは、「誰よりも可愛がってあげたのよ」とみゆきはことあるごとに恩着せがましく言ってくる。思い返せば風船バレーボールの相手をしてくれたのも、いつも双子の姉ではなくみゆきであった。さもあるものかと改めて感謝のひとつでもしてしまう僕は、だまされやすい性格なのだろうか。


そんな過去の経験から、みゆきは「私絶対に子どもが小さいうちはアパートに住む!」と大きな声で主張していた。


みゆきが子供を産むころにはこの臼杵市の子どもの数なんて当時の半分もいないんだよと、今の子どもたちはサッカーよりもテレビゲームを、屋外でだって携帯ゲームを手放さないんだよと、そもそも君にはもうずいぶん恋人だっていないじゃないか。

そういってしまえばまたけんかの種になると思った僕はむぐっと口を閉じた。

 

 

でもたしかに、

各自の部屋をもつ今の家では風船バレーボールもできないし(しないが)、

川の字に並ぶ床に布団を丁寧にせっせと敷くあの楽しい作業も機会を得ない。

 

快適なソファと高台の眺め、定期的に購入される菓子類がある今の我が家も決して悪くはないが、

めちゃくちゃ汚したダンボールの机やのベランダや部屋中に置かれたたくさんの観葉植物、夏にはキラキラと光っていたあの川も、近所付き合いに子どもたちの元気すぎるほどの笑い声も、思い返せばかえがたい大切な思い出だ。

 

だからって子どもが小さい頃はアパートに住むべきかと言われたら、、、

そうとは思わないけれど。

母の料理

きのうは何ヵ月かぶりに家族で時間をとって夕食を食べながら話したりして。家食だけどね。

 

家族が揃っていても、できる限り早く食事を済ませ逃げるように部屋に戻るいつものへっぽこ紳士ではなかった。

 

なんでだろう。最近はこころもちが変わってきたのか。それともご飯が、親子丼だったからか。

 

 


自分で言うのもなんだが、母の料理はすごく美味しい。

どれくらい美味しいって、いつもは19時くらいに出来上がった食事を23時は過ぎてから食べるんだけれど、それでも「うわっつ、うま。」ってなるくらい美味しい。


食物科を出てからも日々テレビに出てくる料理の【詳しい調理方法】を

パソコンを開き、慣れないインターネットで探しては紙にびっしりと書きだしているくらいに料理熱心。

 

美味しくかつ栄養バランスの整った料理をつくることに情熱を注ぎ続ける母は、

今でこそ食費をかけられるが、切り盛りして子ども4人を食べさせてくれた当時から、決して豪華ではないけれどアイディア溢れる節約料理や、自家製のピザ、手作りパンなどをつくっていた。

 

小学生の頃、亮くんのサッカーボールを誤って道路に蹴り飛ばして割ってしまったことがあった。亮くんちに謝りに行く時に母が「これ持っていきなさい」ともたせてくれたのも、あのピザだったっけ。

 

楽しいことでも 毎日続いたら それと気づかずに 退屈と 変わらないね。₋「輝きは君の中に」

とはよく言ったものだが、


いつも美味しいからこそ、毎回「美味しい!」とは言えなくなっている自分に気がつきます。そもそも僕が普段夕食を食べている時間に母は寝ていたり。
それでも、とびっきり美味しいごはんや、母の実験料理シリーズ最新作が出た時なんかには、思わず「美味しい。」が口をついてでます。

僕はその時の母の笑顔が、嫌いではない。

 

 

おふくろさんよ、いつも美味しい料理をありがとう。今度印刷の方法教えるね。

 

 

TODOリスト
・母の料理レパートリーから母が元気なうちに学んでおくこと。その味を知ってもらい人たちにふるまえるよう